2011年3月20日日曜日

親愛なるパンドラ


気分をあげるため、自分がよく写ってる写真をのせる


私は、愛国民とはいえない。
だって海外で暮らすことを夢みているし、
これだから日本は…!とかすぐ思っちゃう、
よくいるかんじの…

でも、ニッポン人だし
日本の恩恵を受けている。

ただ、
PRAY FOR JAPAN
私はあのバッジはつけない。
あのバッジは、海外の方がつけてくれたら嬉しい。

どっちかっていうと、
今わたしたちニッポン人は
DO THE JAPAN
だと思う。

よくわからないような
わかりたくないような現状を
私のようなニッポン人ひとりひとりが作っていって
それがこれからのJAPANになるのだろう。

今回、よくわかったことがある。
私は誰も助けてあげられない。
自分と、自分の周りのことでいつだっていっぱいいっぱい。


こんな中、ものすごく困っている人の
ものすごく役に立っている人がいっぱいいる。
すごいなあ、と思う。

でも、今私は、そんな人になりたい と思うんじゃなくて
やっぱり私でありたい。

いちばん大好きな、おっぱいを沢山のんだあとのモトキの写真。

ママになるまで、子どもがこんなに素敵なものだなんて
ぜんぜんわからなかった。

私はママになって、生まれて初めて
自分が守らなきゃいけないものを持った。


開けちゃいけない箱を、
開けたくなる気持ちもすごくよくわかる。

でもパンドラ
最後に残ったのが希望でほんとうによかった。


前回の日記が何か予言みたいな気がした。

2011年3月3日木曜日

沢山の人をまとめるには、
ものごとを公開するのに順序が要り

ときに隠す期間もあり

大数の反応を予測して
真実に近い、
もっともらしい嘘をつくことがある。
もしくは、嘘っぽいごもっとも
をつく。

リスクを避けることが賢明なこともある。

素直さは時に迷惑という名に。

大企業と零細企業の違いなんて
今まで気にもしなかったけど

そして大抵、自分が知らない環境の事情に温情なんてないけど、

皆様に、それぞれの事情、言い分があるのね。見方ひとつで、事実さえ変わってしまうのね。

私は静かに、それでも幾分楽しげに、静かにしていたのだった。

自分の言葉も、使わないと考えないようになる。
自分の好きな色に対するこだわりも、強くなくなり、

それでここにいる私は
一体だれなのかしら。
私だわ。

ということです。

私の感情では
一月と二月はどこへ行ったの?

こうるさくするのは、なぜ?
こうるさい人にそう聞くと必ず怒るね。
だから、そんなこと聞かない。
こうるさい人の怒りほどこうるさいことはないもん。

ひらりとかわして、
うまく逃げて、
私は大切なものを守らなきゃ。
大切なものがあるなら
自分にまだ色づけできそうね。

三月の始まりです。